民話神話の最近のブログ記事

 
 
落倉自然園の少し先の道路沿いに「風切地蔵」と呼ばれるお地蔵さんがある。見守る先には鬼無里の柄山峠があり、そこにも風切地蔵が祀ってある。更に風切地蔵が祀られている場所がある。それは新潟県の最高峰小蓮華山山頂。そして小蓮華山から落倉、柄山峠の風切地蔵を結ぶラインは一直線に伸び、冬至の太陽が昇る方向を指し示している。
 

風切地蔵
風切地蔵のラインが黄泉の国と通じる冬至の太陽が昇る方向を一直線に指し示している事は、古来太陽信仰と無縁ではなさそうだ。それは小蓮華山が昔は大日岳と呼ばれていたこと、またラインの線上には戸隠神社奥社があり、天照大神の岩戸隠れの伝説で知られる天手力雄神が祀られていることが物語っている。さらに戸隠奥社に繋がる参道がこのラインに平行に沿っている事も何か曰くがありそうだ。
 

センボンヤリの果穂に囲まれて
案内板には「風切地蔵(風除地蔵)は風害防除だけでなく疫病をもたらす悪霊をも追い払ってくれたようだ」とある。古来の人々は石には神が宿ると信じていた。それが庶民信仰と一体となり、今でも塩の道沿いの村々の辻や外れには名残の石や石仏が数多く残っている。
 

白馬三山
今日は朝から空がどんよりと曇っていた。
 

不気味な予感
まだ午後の二時を少し回った頃だというのに、辺りが不気味なほど薄暗くなって、まるで夕暮れ時のようだ。こんな事がある度事に先人達は石仏に手を合わせて来たんだろうなぁ。
 
現代人は何か途轍もなく大切なものを忘れかけているような気がする。
 
 

太井メでした L(^o^ve)
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おぼろ月夜

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3月は卒業式のシーズン「ホタルの光、窓の雪」何度歌っても目頭が潤みます。三男坊が高専に受かりました。
「よくがんばったな」「うん、がんばった」一気に大人になったようです。親の義務も残るは後一年。末娘がんばれ。
 

 
春の月に代表される「おぼろ月夜」が幻想的です。
 
照りもせず 曇りも果てぬ春の夜の
朧(おぼろ)月夜に しくものぞなき
(大江千里・新古今集)
 
月の夜にこの歌を口ずさんでいた事で、光源氏にナンパされてしまう女性が「朧(おぼろ)月夜の君」でした。再会を誓う扇を交換するだけで、お互いに名も告げず別れるのですが、許されぬ恋に落ちてゆく二人の運命やいかに。
源氏物語に数多く出て来る他の女性とは違って、情熱的な艶めかしさを感じる女性です。
 
 

太井メでした L(^o^ve)




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ある日、みすぼらしい身なりをした、年とった女の人が、この村にやってきました。
「わしは、ずっと南の方から雲に乗ってきただよ」
まじめな顔をして言い、佐野坂の空を指さすのでした。
「きっと、百姓がつらくて、逃げてきたがずら」
「目がつり上がってるで、キツネつきの女かもしれねえじ」
村人たちは、そんなことをうわさし合いました。しかし悪いことをするでもなく、そのうちに、村人たちは、気の毒がって村はずれの作小屋を貸してやりました。
女は、たのめば洗濯や針仕事、田畑の仕事などを手伝ってくれるので、村の人たちも食べ物を与えたりして、仲良く暮らすようになりました。

白馬連峰に初雪がきて、里がすっかり秋になったころ、その女は
「わしは、もうすぐ鑓温泉の湯滝で修行し、鑓の山姥になるで・・・」
そう言い残して村から消えてしまいました。

白馬鑓ヶ岳
村の人たちが、この女のことをすっかり忘れていたころ、猟師が山から下りてきて話しました。
猟師は鑓温泉の近くに寝泊まりする小屋を作り、クラシシ(猪)やクマを追いかけてはこれをしとめていました。ところが、その日は雨降りで猟ができないので、小屋の中でたき火をしながら、鉄砲を磨いていました。
小屋の入口のむしろがぱたぱたと鳴り、風がスーッとふきこんでくるので、どうしたのか、と顔を上げたとき、むしろが開いて、まっ白い着物を着た山姥が、小屋の中をじっと見ていました。つり上がった目、大きく開いた真っ赤な口には、牙がのぞいています。
「ここの山は、わしのもんだぞ、キャババ」
そう言って立っています。
おどろいた猟師はあわてて鉄砲に弾をつめてうちまくりましたが、気がつくと山姥の姿は消えていました。おそるおそる鉄砲をかまえて外に出てみましたが、なにも見えず、はげしい雨と、山をわたる風が吹いているばかりでした。猟師はすっかりおそろしくなり、あわてて山を下りてしまったというのです。
村人たちは、
「あの女は、ほんとうに山姥だったのだなあ」と、うわさし合いました。

白馬連峰の夕暮れ

今でも、白馬鑓のあたりで、ときどき登山者が遭難するのは、この山姥のいかりにふれるようなことをしたからだと、村の人たちは言っています。
 
 

平林治康、石原きくよ著(信教出版部)「塩の道の民話」より

 
 

太井メでした L(^o^ve)




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天狗の畑

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白馬三山の中央に位置する台形の山「杓子(しゃくし)岳」に
まつわるお話
 

白馬三山の秋(モルゲンロート)
杓子岳の東側、山が崩壊して岩肌がむき出しになった下に小さな池がある。その池は禾本科(かほんか)植物(イグサやカヤツリグサなど)が生育して、あたかも苗を植えた水田にのように見えた。それがいかにも農夫が田植えをしたかのように畝(うね)が整然としていて、株も大小なく、水も程加減であった。
たまたま麓の山菜取りが北谷に行って、その田の畔(あぜ)を切って水を落とし、しばらく付近で山菜を採取した後ここに戻ってみれば、畔は以前のままで水は田に満ちていた。
山菜取りが北谷へ行く度にこれを繰り返しても、同じように元の姿に立ち返ったという。
 
ここを天狗の畑といい、天狗様の仕業であるように言い伝えられている。
 
塩の道の民話より
 
 
 

太井メでした L(^o^ve)




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鳥越峠コースの入口までマイクロバスで送って頂きましたが
途中で塩の荷継ぎ場として賑った大網集落に立ち寄りました
新潟県に抜ける塩の道の大網峠越えコースの入口に当ります



大網峠入口の六地蔵
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大網峠入口の六地蔵

江戸時代中期になると新潟米を運んだ帰り舟で
瀬戸内海から良質の塩が安価で入るようになり
塩の道・千国街道は大いに賑うようになります
糸魚川港に入った塩は松本平へと運ばれますが
まずは国境の大網で塩荷を改める決まりでした
荷宿へは塩一俵三文の上前を払ったのだそうで
塩二表を一駄と数え八千駄を超えた記録も残り
当時はかなり裕福な集落だったに違いありません



苔生す石仏群
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苔生す石仏群

当時の繁栄を表すかの様に集落の周りには供養塔が多く
苔生した石仏群には先人達の信仰の深さが感じられます

天台密教では六道の中の「畜生道」を教化する観音様が
馬頭観世音菩薩で煩悩や悪心を断つ功徳があるそうです
お寺に安置されている馬頭観音は多顔で八本の腕を持ち
頭上には馬の頭が置かれ容姿は怒りの姿を現しています
その姿や馬頭の名前からやがて民間信仰の中に溶け込み
馬の供養や安全祈願で建られる様になったのだそうです
街道の馬頭観音の多さに危険な道だったことが伺えます



雨飾山を背景に 
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雨飾山を背景に

「雨飾山」の麓にある大網集落には古い伝承や言い伝えが多く
毎年2月の第二土曜日に行われる「大網火祭り」はその代表で
雨飾山の神に一年間の五穀豊穣や安全を祈願するお祭りです



大網諏訪神社の欅の大木
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大網諏訪神社の欅の大木

大網(おあみ)は「おおあみ:うあみ」などの呼称があり
古代の峠の神を拝む場所(拝み)だと言う説があります
また奴奈川姫が諏訪大社の祭神「建御名方命」を産む時に
産屋の周りに大きな網を張り巡らせたので
「大網」と呼ぶようになったとの説もあります

大網諏訪神社が古宮諏訪神社とも称され
古い歴史や伝統の交差した集落の様です


女将はまだ大網を楽しんでいる様子



(´・(ェ)・`)~~hutoi
 

 栂池自然園上部の天狗原(てんぐっぱら)から、北東へ2時間半ほど歩くと風吹大池があります。標高1,778m・周囲1,300mの日本一広い高山湖沼です。周囲には小敷(こしき)の池、科鉢(しなはち)の池、血の池などが点在し、一周約90分の遊歩道もある。最近珍しいランプの山小屋で泊る事もできますが、予約が必要で、営業はこの連休までとのことです。

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 池の周囲には、オオシラビソやコメツガの林の中に、ブナやダケカンバ、モミジなどの広葉樹が混生して、あまり人に知られていない紅葉の名所でもあります。湖を一周すると日本海まで遠望できる場所もあり、鮮やかな紅葉が青い湖面に映る様は、正に「神秘の湖」の名に相応しい。
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風吹大池にまつわる話

 昔~しムカシ、雨乞いをするために神主を頼み、村中総出で風吹大池へ上った。池の中には大きな岩があって、そこへ橋を架け神主を渡し、雨乞いの祈祷をした。祈祷もそろそろ終わるころ、池の中から大蛇が現れ、その岩を三巻まいた。神主は驚いてすぐに岸へ飛び移ったが、あまりの恐ろしさに気絶してしまった。池の中はみるみる水かさが増し、天はにわかにかき曇って大雨になってきた。神主は家に送られて一度は蘇生したが、ついにこれが原因で死んでしまったとさ。


この一帯は五穀豊穣を願う農民信仰の対象の山でした



(´・(ェ)・`)~~hutoi

道祖神(どうそじん)

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道祖神と言えば安曇野地方を代表する風物ですが
塩の道・千国街道の沿道にも数多く祀られています
 
もともと旅の安全を守る神だった「道祖神」は、中国の呼び名で、日本古来の呼び名は、塞への神(サヘノカミ)であったようです。
古い神道では「久奈斗(くなど)の神」とも呼ばれています。
 

道祖神
時を経るにつれ呼び名が混同したり、民俗信仰も加わって、五穀豊穣・家内安全・子孫繁栄・厄除消除などの、人々の最も身近な願いを叶えてくれる神さまとして、ドーソジン・ドーロクジン・サエノカミ・セーノカミなど、色々の呼び名で親しまれるように成っていったようです。
 

双体の道祖神
特にユニークなのが、抱き合って手を取り合ったり、酒を酌み交わしていたりする、男女双体の石像です。
農耕の民にとって、大地母神は始原的信仰であったし、物を生み出す性の神の「むすび」の霊力も重要でした。
これらの思想が神話と重なり習合したのかも知れません。
 

大黒様と道祖神
いずれにしても村々に建てられた道祖神は、ただ一つの神格を祀るためのものではなく、「よろず願い事受付所」だったのでしょう。
1月15日(小正月)の「どんど焼き」は道祖神の祭りです。



(´・(ェ)・`)~~hutoi

桃の話

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桜よりも赤味の強い桃の花。特に花桃の赤色は遠くからでも目立って鮮やかだ。
 
日本原産の自生種は確認されておらず、中国大陸が原産とされています。静岡県登呂遺跡からは何種類かの桃の種が発掘されているので、既に弥生時代末期には日本に渡来し何種類かに分離していたらしい 。
 

花桃
桃は古代から霊力があると信じられてきた。中国にもかなり古い記録がたくさん残されているようで、中でも有名なのが孫悟空が食べた蟠桃(ばんとう)の話。
 
日本でも古事記で「いざなみのみこと」が黄泉の国から逃げ帰る時、最後に投げつけ鬼を追い払ったのが桃の実でした。ただしこれは暖かい地方に自生するヤマモモのようです。このころの渡来種の桃は「ケモモ」と呼んでいたようで、この辺でも未だにケモモと呼んでいるご老人がいます。確かに桃の表面には細かい毛が生えていますもんね。
 

桃の花のある庭
昔々あるところにお爺さんとお婆さんが住んでいました
お爺さんは山へシバカレに・・?(*_*;)マチガイタ!
 
お爺さんは山へ芝刈りに、お婆さんは川へ洗濯に
そこへ川の上流から大きなモモが流れて来ました
ドンブラコッコ~ドンブラコ。ドンブラコッコォスッコッコ
お婆さんがそのモモを拾い上げようとしましたが
大きすぎて一人では持ち上げられそうも有りません
その時後ろから声をかけてきた男の子がいました
「お婆さん、そのモモ・・・持ったろう」
 
そのモモモったろう・・・モモったろう
!!━━━(゚∀゚≡(゚∀゚≡゚∀゚)≡゚∀゚)━━━━!!
 
桃っ太郎のお話でした・・・・(0_0;;)

スモモモモモモモモノウチ(^^;)V


(´・(ェ)・`)~~hutoi

ひな祭り

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子供の頃とても広く感じた集落も
遠くから見ると意外なほど小さく見える
 
田舎では旧暦の習慣がまだ残っていて、三月や五月の節供は1ヶ月遅れで行います。ひな祭りは旧暦で桃の花が咲くころ行われるから「桃の節句」とも言いますね。
 

 
古事記によると、イザナギ・イザナミノミコトが日本の国土を作る時、男神は左から、女神は右から聖なる柱を廻り合い、御神婚をします。柱を廻って出会った状態の立ち位置は男神が左、女神が右。向かって正面から見ると、男神が右側、女神が左側に立つようになります。古来、左は右よりも尊いとされていたようで、最も尊いとされるアマテラスオオミカミは左の目から生まれます。
 
内裏雛も本来は向って右側に男雛を飾っていたのですが、近代になって天皇が西洋式を取り入れ、逆に立つようになってから、お雛様も逆に置かれる事が多くなったようです。
 
古来から民衆に信仰されてきた「道祖神」の像も男神が向って右側に描かれています

機会がありましたらまたご紹介しましょう



(´・(ェ)・`)~~hutoi
 
以前お約束した大出(おおいで)の河童の話です。
 
昔々、大出のある家の雪隠に、毎夜怪しいものが出て、用便に行った人のしりを撫でるというので、家中の人は皆恐れていた。ある夜主人は十分注意して雪隠に入り今か今かと待っていた。果たして怪物は出た。例のごとく手を延べてしりを撫でた。主人はこのときとばかりに腕を押さえて力を込めて引いた。怪物は逃れようとしてついに腕を引き抜かれた。
 

水神様
怪物はその次の夜侘びにきて、「私は水神に棲む河童であります。今までの悪いことは許して下さい。その返礼として河魚を毎夜捕えてきては進ぜます」と言った。主人は、何を言うことか、あてにもならんが腕を家においても仕方ないからと、それを彼に返した。彼は喜んで持ち帰った。この家ではそれでもとたらいを庭に出しておいた。翌朝、それを見たら活きのいい河魚がたくさんいた。毎夜毎夜、そのようであった。
 
ある夜たらいがふさがっていたから、その代わり鍋を出しておいた。河魚は一匹も入れてはなかった。その後はたらいを出しても、その時限りになった。河童が腕をもらいに来た時伝えた、諸病に効験のある妙薬がある。これを「水神様の御夢想」という。産前産後の腹の痛みには特効があるということで、昔は遠方からももらいに来たそうだ。
 
先代社長郷津弘文著「千国街道からみた日本の古代」塩の道の民話より



(´・(ェ)・`)~~hutoi

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