地名の由来の最近のブログ記事


先日大町市での買い物の途中、本当に久しぶりに綺麗な空色に出合いました。
 

右:爺ヶ岳 左:蓮華岳
右側の雲を被った山が種蒔き爺さんの雪形が出る白馬連峰南端の爺(じい)ヶ岳。この辺一帯は北アルプスでも有数のライチョウの棲みかです。左側の山は蓮華(れんげ)岳。山頂に若一王子神社(にゃくいちおうじじんじゃ)の奥社があり、コマクサの群生する山としても知られています。中央の谷を奥に進むと、黒部ダムの入口「扇沢」に行き着きます。
 
先日紹介した白馬乗鞍岳の隣には、新潟県の最高峰「小蓮華山」がありますが、隣接する白馬(しろうま)岳の越中・越後側の呼び名「大蓮華岳(だいれんげだけ)」に対しての呼び名で、信州側では大日如来像が奉られている事から大日岳(だいにちだけ)と呼ばれていました。
 

右:蓮華岳 左:北葛(きたくず)岳
蓮華岳の裏側には白馬、剣沢と共に日本三大雪渓の一つといわれる「針の木雪渓」があり、雪渓を登り切った所の「針の木峠」は厳冬の北アルプスを横断した佐々成政(さっさ なりまさ)の「さらさら越え」で知られます。
明治の初めにはこの「さらさら越え」ルートとされる、針の木峠から黒部川・平の渡し、ザラ峠を経て富山県立山町へと有料道路が開かれたのですが、通行できたのは僅かに一ヵ月だけだったそうです。アルペンルートが開かれてからは針の木峠を越える人もめっきり少なくなりました。
 
「レンゲ」と聞くと蓮華草や中華のスプーンを思い浮かべますが、仏像の台座を蓮華座と呼ぶのと同じくハスの花の事です。中華のスプーンは一枚のハスの花びらに見立てていますが、多くはハスの花の形から蓮華が付けられています。
そう思って見るとこの蓮華岳の裾野に折り重る三角の尾根がハスの花に見えなくもありません。
 
 

太井メでした L(^o^ve)




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白馬連峰の雪形

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白馬三山のビューポイントを尋ねられ真っ先に思い浮かぶのが、再三ご紹介している白馬大橋です。
白馬大雪渓を源流に持つ松川に架かる橋の中央からの眺めは、邪魔な前景が無く広々とした景色で、長い稜線を左右に広げた白馬三山が、遠からず近からず真正面からドッシリと迎えてくれます。建設省選定の「日本の道100選」に選ばれたのもこの景観が有るからこそでしょう。
 
 

白馬大橋からの白馬三山
「白馬三山」は北アルプスの北端に位置し、左から白馬鑓ヶ岳(はくばやりがたけ)杓子岳(しゃくしだけ)白馬岳(しろうまだけ)の三山を指します。白馬岳の名前の由来ともなった雪形の代馬(しろうま)は、白馬岳の右鞍部(丸印)にあり昔から農作業の目安とされてきました。
 

代掻き馬の雪形
雪形の代馬は黒丸部分が頭部で、首や四本の足はまだハッキリとは表れていません。右側で跳ね上がっている部分が尻尾です。代掻きの時期を告げるのはもう少し先のようです。
 

武田菱の雪形
五竜岳(ごりゅうだけ)の名前の由来となった雪形の武田菱は、今頃が一番ハッキリと表れる時期です。
 
白馬連峰の雪解けがもう少し進んだら、その他の雪形もご紹介しようと思います。
        。 。
    / / ポーン!
  (  Д )
     アップした後に女将のブログを見たら・・・
            同じ題材で・・・(゚A゚;)!!!
 
      今更後には引けませぬっぅうう メッ ☆ヾ(^^;)


(´・(ェ)・`)~~hutoi

山か岳か?

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ホームページの登山案内で当初「火打岳」としておりましたところ、「火打山とも呼ぶようですが、違いは何でしょうか??」とのお問い合わせメールを複数戴きました。
事情があり文章作成者であるオーナーの確認がとれませんので推測になってしまいますが、山岳ガイドでもあり「日本百名山」をこよなく愛す山男の事ですから、あえて「火打岳」とするには何らかの意図があったかと思われます。
 
人気イベント「塩の道・早朝散策」終点の牛方宿からは、頸城(くびき)三山のうち火打山が見えます。日本海の方角に晩秋真っ先に冠雪する火打山はひと際目立ちますから、周りの山々と区別して火打岳と呼びたいような気もします。それゆえ頸城三山を象徴する意味合で敢えて使ったのかも知れません。また文章の流れから何気なく「岳」と表したのかも知れません。
 

初冠雪の火打山(牛方宿から)
 
調べましたら古くは各地の名山を中山と呼ぶ事があったようです。また単独峰は「山」連山は「岳」だとか、信仰対象の山を「山や嶽」などと呼ぶとする説もありました。しかし条件に当て嵌らない山や岳がたくさんあり、規則性は曖昧なようです。
この辺では「火打山」と呼ぶ場合の方が多いようですし、また国土地理院や日本山岳会、日本百名山でも「火打山」としておりますので、呼び名の混乱を避けるため「火打山」に訂正いたしました。
 
左から焼山(やけやま)火打山(ひうちやま)妙高山(みょうこうざん)

八方尾根より頸城三山(くびきさんざん)
 
仲間で話をする時に、焼(やけ)・火打(ひうち)・妙高(みょうこう)などと、山や岳を外して呼ぶ事が多々あります。火打、妙高は深田久弥の日本百名山に選ばれており、その書中「妙高山」の名の由来で「名香山(みょうこうざん)」と有りましたので、「みょうこうさん」とも呼ばれる中、あえて「みょうこうざん」と振り仮名を付けました。

普段何気なく呼んでおりましたが、お問い合わせをいただき
太井メも大変勉強になりました。ありがとうございました。



(´・(ェ)・`)~~hutoi
 

白馬連峰の南端にある鹿島槍ヶ岳(2,889m)は、五竜遠見尾根越しにポカリと浮かび、まるで人の手によって作られたかの様な、見事に左右対称な双耳峰です。この特徴ある山の形は一度見ると忘れられないでしょう。深田久弥の日本百名山にも「大好きで粋な山」だと紹介されています。


屋上より鹿島槍ヶ岳

昭和初期の登山ブームでは大人気で、鹿島槍北峰の北壁は多くのクライマー達を惹きつけ、アルピニズムの開花の舞台となりました。特に山岳部の積雪期初登はん争いは熾烈で、登山史に「北壁時代」と云われる一時代を築きました。
白馬連峰は長野県側が急激に落ち込み、富山側が比較的緩い斜面になっており「非対称山稜」と言われています。特に白馬三山と鹿島槍ヶ岳付近が顕著で、積雪量も多く、雪崩による大量遭難が多かった場所でもあります。

鹿島槍ヶ岳ほどさまざまな名前が付けられていた山も珍しいかも知れません。江戸時代、加賀藩の奥山廻りの絵図には、富山県側の立山の真後ろに当る山で「後立山(ごりゅうさん)」と記入されています。同時代長野県側では「ケンノフガ岳」「ケンノフ岳」などと呼ばれていました。明治の初めには「隠里(かくねざと)岳」「乗鞍岳」「布引岳」などとされ、雪形から「しし岳」「鶴ヶ岳」さらに面白いのは双耳峰が高さを競っているように見えたのか「背比べ岳」とも呼ばれています。(信濃毎日新聞社編集局編「北アルプス」より)

鹿島槍ヶ岳の呼称は、室町時代に地震で大崩落がおこり、地震の神様の鹿島明神を祭ったことに由来するとされ、南の槍ヶ岳に対し「鹿島の槍」の意味で名付けられたとの説があり、麓の鹿島集落の名から採ったもののようです。この集落は平家の落人伝説が残り、その奥の鹿島槍北壁の麓には隠里(かくねざと)と言う地名が残っています。




(´・(ェ)・`)~~hutoi

鳥越峠コースの入口までマイクロバスで送って頂きましたが
途中で塩の荷継ぎ場として賑った大網集落に立ち寄りました
新潟県に抜ける塩の道の大網峠越えコースの入口に当ります



大網峠入口の六地蔵
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大網峠入口の六地蔵

江戸時代中期になると新潟米を運んだ帰り舟で
瀬戸内海から良質の塩が安価で入るようになり
塩の道・千国街道は大いに賑うようになります
糸魚川港に入った塩は松本平へと運ばれますが
まずは国境の大網で塩荷を改める決まりでした
荷宿へは塩一俵三文の上前を払ったのだそうで
塩二表を一駄と数え八千駄を超えた記録も残り
当時はかなり裕福な集落だったに違いありません



苔生す石仏群
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苔生す石仏群

当時の繁栄を表すかの様に集落の周りには供養塔が多く
苔生した石仏群には先人達の信仰の深さが感じられます

天台密教では六道の中の「畜生道」を教化する観音様が
馬頭観世音菩薩で煩悩や悪心を断つ功徳があるそうです
お寺に安置されている馬頭観音は多顔で八本の腕を持ち
頭上には馬の頭が置かれ容姿は怒りの姿を現しています
その姿や馬頭の名前からやがて民間信仰の中に溶け込み
馬の供養や安全祈願で建られる様になったのだそうです
街道の馬頭観音の多さに危険な道だったことが伺えます



雨飾山を背景に 
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雨飾山を背景に

「雨飾山」の麓にある大網集落には古い伝承や言い伝えが多く
毎年2月の第二土曜日に行われる「大網火祭り」はその代表で
雨飾山の神に一年間の五穀豊穣や安全を祈願するお祭りです



大網諏訪神社の欅の大木
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大網諏訪神社の欅の大木

大網(おあみ)は「おおあみ:うあみ」などの呼称があり
古代の峠の神を拝む場所(拝み)だと言う説があります
また奴奈川姫が諏訪大社の祭神「建御名方命」を産む時に
産屋の周りに大きな網を張り巡らせたので
「大網」と呼ぶようになったとの説もあります

大網諏訪神社が古宮諏訪神社とも称され
古い歴史や伝統の交差した集落の様です


女将はまだ大網を楽しんでいる様子



(´・(ェ)・`)~~hutoi
 
 
早朝散策の最終地点「牛方宿」の在る場所は「沓掛(くつかけ)」と呼ばれている。各地に沓掛と呼ぶ地名が残るが、多くは急坂の取っ付きや登りきった所にあり、履き潰した沓を木の枝や石像に掛け、感謝と道中の安全を祈った場所でもある。
 

白衣観音と地蔵菩薩
 
牛方宿の在る沓掛も、親坂(おやざか)と呼ばれる急な坂道を登りきった所にある。当時の輸送は人や牛馬に頼らざるを得ず、農閑期の農民にとっては良い副業だった。記録によると入り荷は海産物や塩が主で、越後向けには大豆やたばこ、生薬が上位を占めている。たばこや大豆は小谷地方の土地に適しており、生薬は白馬・小谷の特産品とも言える産物であった。
 

親坂風景
 
日本海から小谷村への道は、山坂峠越えが多く、険しく狭い山道が多い。こうした場所での輸送は、馬よりも重心が低く、爪の割れた牛の方が強い。狼もいた頃だったから臆病な馬よりも、闘争本能の強い牛の方が役に立ったようだ。牛の背中に振り分けて二表(一駄)約120キロの荷を運んだと記録に残る。一人前の牛方は6・7匹の牛を追ったと言うから、さぞ壮観だった事だろう。親坂の途中には、大人の腕が楽々入るほどの穴の空いた、大きな石が残っている。「牛つなぎ石」と呼ばれ、こうした牛たちを繋ぎ止め休んだ場所だと言う。
 

牛つなぎ石
 
途中少し平らな所に「錦岩(にしきいわ)」と呼ばれる大きな岩がある。ちょうど陽が射しこむ場所にあり、天候や光の加減で岩肌の色が変化すると言う。果たして急坂を無心に登り降りするボッカ達にとって、心安らぐ風景だったであろうか。
 

錦岩
 
雑木林を抜けた上り坂も終点近くに、水の湧き出している場所がある。「弘法の清水」と名付けられた水飲み場で、二つの石舟が置いてあり、低く据えられた方は自然石を掘った物で、牛馬用だったと言われている。
 

弘法の清水
 
ボッカ達の渇き切った喉にとっては
弘法さまから授かった甘露の水だったに違いない



(´・(ェ)・`)~~hutoi
 
雪形が黒い馬なのに「白馬岳」とは之如何に?
 
北アルプスの長野県側は「後(うしろ)立山連峰」と呼ばれる。確かに富山県側から見るとこちら側が後ろに成るが、「うしろ」と付くとチョット悔しいので「白馬(しろうま)連峰」と呼びたい。
 

栂池自然園より
白馬連峰の主峰、白馬岳(2,932m)は「しろうまだけ」と呼び、本来は「代馬」の字が当てられていた。イネの苗を植える前に耕した田んぼに水を入れ、土を軟らかくする作業を「代掻き(しろかき)」と言う。春になると白馬岳の右鞍部下に、雪解けで黒い馬の雪形が現れ、これを「代掻き馬」と呼び代掻き作業の目安としていた。そしていつの間にか代掻き馬の現れる山を、代馬と呼ぶようになっていた。
明治初期に役所で山の名の登録をする際、「しろうま」を白馬と書き誤ったようである。通常なら首切り物の間違いながら、観光には打って付けの名前になった。今では白馬村、白馬駅、白馬大雪渓、白馬鑓ヶ岳などと、ほとんどを「はくば」と呼ぶようになっている。
 
白い花なのに「クローバー」と言うが如し・・・(*´ー`)y-~~



(´・(ェ)・`)~~hutoi

杓子(しゃくし)

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栂池高原の入口、越戸峰(こいどみね)から今朝の「白馬三山」。真ん中の山を「杓子(しゃくし)岳」と言います。先輩から汁をすくう杓子の形から名前が付いたと教えてもらいましたが、最近「岩石がガラガラしたガレ場をシャクシと呼ぶことから、大きなガレ場のある山」と言う説に出会いました。いろいろ検索するとこちらの説が有力に思えてきます。ただし杓子の形の説もあるようですね。
 

白馬三山(真中が杓子岳)
 
落語の根問い物(長屋の住人がご隠居に色々と根掘り葉掘り聞く噺)に「やかん」と言うのがあります。長屋の八っつあんが「表はにぎやかでゾロゾロ猫も杓子もつながって歩いていますが、たいそうな人でゲスヨ」と言うと、ご隠居が「猫も杓子もと今おっしゃったが、猫はそりゃァ魔物だから往来を歩きもしようが、杓子など出ますかい。女子(めこ)も若子(じゃくし)も出る。女子は女、若子は若い子と書くから、本来、老若男女と言ってもらいたい」
 
「やかん」は楽屋言葉で知ったかぶりをする人を言うのだそうで、このご隠居のさもありなんと思える、口から出まかせが面白いのですが、太井メも「やかん」にならぬよう謙虚にならねばと思う今日この頃です。
 
猫も杓子も」の語源を検索して見ると
この落語のご隠居の説もまともに思えてくる


(´・(ェ)・`)~~hutoi
 
夕日に浮かび上がる稜線は、昔、苦労して走破した縦走路を思い起こさせる。
 
北アルプス登山の魅力の一つは縦走にある。遠くは富士山・南アルプス・八ヶ岳の峰々、穂高・槍からの立山連峰の連山、佐渡島まで見渡せる壮大な眺望はもちろんだが、特に黒部渓谷を挟んで間近に見える剣・立山の迫力ある山並みが、絶えず変貌する姿は、縦走ならではの絶景だ。ただしこの縦走路には二ヵ所の難所がある。白馬三山から唐松岳の間にある「不帰嶮(かえらずのけん)」と五竜岳から鹿島槍ヶ岳への間にある「八峰キレット」は、不慣れな登山者を阻む難所である。それゆえ走破した時の達成感と感慨にはひとしおのものがある。

白馬三山
 
白馬三山(白馬・杓子・白馬鑓)から長い平らな天狗尾根を抜け、標高差300mの天狗の大下りを下ると、「不帰峰(かえらずのみね)」と呼ばれる難所が唐松岳まで続く。天狗の大下りから、不帰一峰までのV字に切れ込んだ辺りを「不帰キレット」ととも呼ぶ。その向こうへ屋根の形をした不帰二峰、三つの小さな峰を持つ不帰三峰、八方尾根と呼ぶ尾根筋を持つ唐松岳へと続く。とにかく鎖場やはしごの上り下りが多い。特に不帰一峰と不帰二峰北峰との間が「不帰嶮(かえらずのけん)」と呼ばれる最大の難所である。
天狗の大下り・不帰峰から唐松岳
 
残念ながらホテルの屋上からは、五竜岳から鹿島槍ヶ岳の間にある「八峰キレット」は、五竜遠見尾根に阻まれて見ることはできない。写真の鹿島右横に溜まっている、雲の真下の光っている辺り。猟師の八(はち)が始めて渡った峰だから八峰と呼ぶのだとか。ここにあるキレット小屋は幅5m・長さ30mほどの鞍部に建てられている。
キレット:稜線の深く切れ込んだ場所を、信州の方言で「キレ」と呼ぶ。「ト」は(ところ)で、切処や切所と書く。

五竜岳から鹿島槍ヶ岳
 
雲が赤くなるのは西の空が晴れている証拠。明日も暑い日になりそうだ。これだけ気温の高い日が続くと、栂池自然園の紅葉が10月の連休に間に合うかどうか心配になる。


(´・(ェ)・`)~~hutoi
 
8月8日ガイド講習の合間に撮った八方の植物たちを紹介します。
特にシモツケソウがハイマツの下から生えている写真は八方尾根でしか撮れないでしょうね。
 

ハイマツとシモツケソウ

ミヤマトウキ

シナノオトギリ
 
八方尾根にはリフト終点近くの第一ケルンから、八方池の上部丸山ケルンまで六つのケルンが続く。夏は霧が巻き冬は吹雪になることが多いため、主に遭難者の遺族や仲間たちが、犠牲者の霊を慰め登山者の目印にと建てたものです。
最初のは昭和12年に建てられた八方池近くの第三ケルン(2,080m)。銀婚式の記念だそうな。最初に遭難者の慰霊碑として建てられたのは息(やすむ)ケルンの別名を持つ第二ケルン(2,005m)。大阪の西阪息さんの父親らによって昭和13年に第一ケルン(1,830m)ともにに建立された。
 

タテヤマウツボグサ

マツムシソウ

ミヤマダイモンジソウ
 
昭和55年12月、吹雪で道に迷った生徒五人と教諭一人が凍死した事件は衝撃的でしたが、この痛ましい遭難の慰霊のため昭和59年に、神奈川県逗子開成高校によって建てられた八方ケルン(2,035m)は最も新しいケルンです。
 

キンコウカ

ハクサンシャジン(白花)

ミヤマムラサキ
 
栂池自然園は湿地帯の花が多く、八方尾根は尾根筋の砂礫を好む花が多い。植生が違い種類も豊富なので、二日に分けてゆっくり見学することをお勧めします。
もちろんお泊りは当ホテルで!!!
 

(´・(ェ)・`)~~hutoi

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