懐かしい白馬連峰の絵葉書

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古くからのお客様が数年前脳溢血で倒れられ、大分お悪いようだとは聞いており心配していたのですが、残念ながら先日訃報が届きました。山が 好きで、スキーが好きで、お酒も好きで・・。一緒にスキーをする約束も忙しがって居て、一回しか果たせずに本当に心残りです。
今回は追悼の意を込めて、故人がお土産に探して来てくれた、古い絵葉書を紹介しようと思います。宜しくお付き合いください。


絵葉書の表紙

絵葉書の裏面

「ガラクタ市で見つけた」と嬉しそうに持って来て下さった絵葉書は、山小屋の先駆者「白馬館」の発行です。ケースには購入者が残した「出発 昭32.7.18,帰 昭 32.7.21」のメモが残っております。
発行から50年の著作権保護期間は過ぎているようですが、撮影者の著作権が残っているかも知れません。念 のため「㈱白馬館」様に掲載許可を確認したところ快くご承諾いただきました。ありがとうございました。

昭和32年(1957年)をネットで調べると、南極大陸初上陸、岸内閣の成立、百円硬貨(鳳凰)や五千円札(伊藤博文)の発行。
映画ではアカデ ミー賞の「戦場にかける橋」日本では「喜びも悲しみも幾歳月」。
ヒット曲には石原裕次郎の「俺は待ってるぜ」先日亡くなったフランク永井の 「有楽町で逢いましょう」。アメリカではエルビス・プレスリーやパット・ブーンがトップ5を独占。
7月生れの有名人に元プロ野球選手の北別府投手、篠塚選手、芸能人では大竹しのぶ。
前年の冬季オリンピックで優勝したオーストリアのトニーザイラーが初来日しています。
近郊では 昭和31年10月から北城村と神城村が合併して白馬村に、33年12月には八方尾根にケーブルが掛かりました。

ラジオでは「赤胴鈴の助」の連続放送「♪ 剣をとっては日本一に 夢は大きな少年剣士 ♪」 なんで覚えているんだろう??(^^;)



「四ツ谷より見る白馬連峯」
絵葉書のタイトルにある連峰の字に「峯」の字が当てられています。この頃はまだ白馬駅が四ツ谷駅 と呼ばれていたんですねぇ。
写真の風景は白馬村の深空(ふかそら)辺りかな?と思いますが、今でもこんな風景が残っていたらカメラマンが殺到したことでし ょう。


「白馬岳より見る立山連峯の雄姿」
画像では分かり難いですが、白馬岳山頂からの絵葉書では、中央の丸山手前にある村営宿舎がまだ石積みで、奥のキャンプ場も出来ていません!!
赤い屋根は白馬館の白馬山荘。1959年に火災で1棟を残し全焼したと記録に有りますので、焼失する以前の山小屋ですね。


「白雲を浮かべる白馬大池」
太井メが一番気に入ったのが「白雲を浮かべる白馬大池」の絵葉書。ここまでボートを担ぎ上げたに 違いありませんが、当時の登山者たちの大らかさと冒険心が感じられます。
もしかして池の中央にあった鳥居が残っていた時代かもしれません。 それが写っていたら、かなり貴重な写真なのにと残念です。


「日本最高度の白馬鑓温泉露天風呂」

タイトルに「日本最高度」とありますが、立山や八ヶ岳にもっと標高の高い温泉がある事が知られてから、今では日本一高いと言う表現はされてい ません。山小屋もなくまだ湯船がコンクリで無い時代の、これも貴重な写真です。
今はもっと敷地が広げられ、組み立て式の山小屋(冬は解体さ れる)と、確か女子風呂が囲われて有ったと記憶しますが、露天風呂は混浴でした。標高2100mの岩の割れ目からコンコンと湧き出るお湯に浸かりな がら、雲海から登るご来光を眺めた記憶が蘇ります。正に自然の驚異でした。

懐かしく思って見てくれた方は居たでしょうか?
故人もきっと懐かしがってくれている事と思います

改めて、謹んでご冥福をお祈りいたします

まだ貴重な絵葉書やパンフレットを戴いてますので
次回ご紹介いたします




(´・(ェ)・`)~~hutoi

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このページは、hutoimeが2008年12月 5日 12:16に書いたブログ記事です。

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