2008年12月アーカイブ

 
新月から月齢30日目の見えなくなる瞬間の月を三十日月(みそかずき)と呼び、旧暦の月の終わりの日を「三十日(みそか)」と言いました。
また「晦(つごもり)」も月が隠れて見えなくなる「月隠(つくごもり)」の事で、古くは月の最終日を「つごもりの日」と呼んでいました。
やがて「晦日」と書いて「みそか」とも読むようになります。だから年の最後の日を「大晦日(おおみそか)」とか「大晦(おおつごもり)」と呼ぶんですね。
「大晦日」は賑やかさを、「大晦」は静けさを感じます。
 

今年最後の束の間の恩恵
 
一日中雪マークの天気予報が外れ、昼過ぎには雲間から太陽が顔を覗かせました。今年最後の恩恵を授かり、心も身体も温かくなる瞬間でしたが、明日からまた雪マークが続きます。ゲレンデにはもう少し雪が欲しいので、お日さまには明日の初日の出の後、暫くお休みをして戴きましょうか。
 
今年はいつもより1日多い年366日だったんですね。振り返ると束の間の事のように思えますが、多かった一日分は有意義に過ごせたんだろうか?
歳を経ると共に時の過ぎるのが早く感ぜられ、来年はもっとユッタリと過ごそうと毎年思う大晦日です。

「女郎の誠と玉子の四角 あれば晦日に月も出る」
有るはずの無い事を例えた川柳ですが、商売柄ゆったりと過ごせる年末年始はまだまだお預けです。
 
皆さまには良いお年をお迎え下さい。



(´・(ェ)・`)~~hutoi

老化は気から

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「大分お腹がへこみスリムになったじゃないですか」一年ぶりのお客様に言われました。久しぶりのスキーのせいだろうか? いやいや事務所で毎日のように聞かされる、ダイエットやカロリー計算のお喋りの所為かも知れません。
「太目の太井」に成らぬように「太メ」を保つのは、至難の業なのですよ。冷え込みの厳しい日々が続きツララの方はだいぶ太りましたが (^^ ♪
 

太目のツララ
 
前回筋肉痛の話をしましたが
毎年冬シーズンにフロントに入ってくれる女性曰く
「筋肉痛は老化と共に反応が遅くなるから、お正月過ぎにはきっと痛くなりますよ」
「いやいや今でも十分痛いですから、まだまだ筋肉が若い証拠です!!」
「一週間前に何か重いもの持ちませんでしたぁ?」
大雪で雪かきをしたのは一週間前だっけ・・・??
違うよ3日前じゃんヾ(・・;)オイオイ
一瞬その気になってしまった ^ ^;;
 
病は気からと申しますが「老化も気から」と思うのです。
しかし回復力が衰えてきたのは確かなようだなぁ。
今だにあちこちが痛みます。



(´・(ェ)・`)~~hutoi
 
子供たちのスキーレッスンは無事終了しました。下部のゲレンデに雪が無く、初日はゴンドラで天辺まで登ってのレッスンでしたが、その日の午後から大雪に成り3日間吹雪かれっ放しでした。子供たちには可哀想でしたが、お蔭で今日からゲレンデは全面滑走可能になりました。
 

宿には大型除雪機が必需品
 
自分の体が想像以上に硬くなっている事を改めて実感しました。転んでなかなか立てない子供に、起き上がり方のコツを実演したのですが、お腹が邪魔してスムーズにいかない (^^;)
年を取ると共に転ぶなんて事は恥ずかしい事で滅多に無い事ですが、座ったり立ち上がったりは日常茶飯事です。しかしスキーを付けて起き上がるには、両足を閉じ、出来る限り体を縮め、上半身を谷側にオモイッキリ捻らなくてはなりません。爪先立ちが出来ませんので、日常では殆どしない運動です。
股関節と腰の柔軟性が著しく劣っている事をしみじみ感じました。
 
スキーをする事自体が日常の行動とかけ離れた運動動作が多いので、普段使わない筋肉を使います。
良く使う筋肉が足の小指を上げる動作に必要な脛の外側の筋肉と、中腰を維持するのに必要な膝上の内側の筋肉。今回意外だったのがふくらはぎの筋肉の痛みが一番強い事。爪先立ちする時に使う筋肉ですが、普段の山歩きで無意識に楽な方法で歩いていた事が解りました。
スポーツやウォーキングをしていても、習慣になるとその動作に慣れてしまいます。柔軟性を養うために、思い切って違う動作の運動をしてみるのも良いのかも知れません。
今回の事をきっかけにまたスキーを始めようかな?なんて思いましたが、家計の事を考えるとあまり大きな声では言えません ^ ^;;
 
久しぶりのスキーと雪掻きで、あちこちの筋肉が悲鳴をあげていますが、何はともあれ怪我人も無く無事終えた事にホットしております。
それになんたんて臨時収入が・・・オットこれは妻には内緒です (o^-')v



(´・(ェ)・`)~~hutoi
「先生!!」「・・・・」「先生さぁ~」
袖を引っ張られて初めて自分が呼ばれている事に気付きました。
先生は昔から苦手で・・・ましてや自分がそう呼ばれるなどとは、なおさらの違和感です。
「先生じゃなくてコーチと呼んでください!!」

昨夜急遽子供たちにスキーを教える事に決まりました。何年ぶりの事だろう。小谷小学校の父兄でスキーの出来る親は、シーズンに2回子供たちにスキーを教えます。それ以来ですから6年以上は経っています。スキー靴は壊れてしまっていたので借り物のセットです。
 

なかなか雪が降りませぬ
 
昔々のその昔スキーを教えていた頃、スポンサーの関係で「ハンソン」と言う靴を履いていました。後ろの方が開くリアエントリー方式のスキー靴の先がけで、「ハンソンは半分損する。バイソンは倍損する」と言われ最初は不人気でしたが、これが脱着が楽で歩き易く軟らかでレッスンには最適でした。引退後もこの方式の靴が好きで最後に買ったのがサロモンSX82エキップ。
やがて従来の、前に締め金具が付いたフロントバックル方式が主流に成り、上級者用のリアエントリーのスキー靴は店頭から消えてゆきます。以来延々と履き続け、シェルが割れ履けなくなったのがきっかけで、スキーもしなくなりました。毎年インナーブーツに手を加えたお陰で、あちこち張りぼてだらけのチョットした芸術品になっています。
 
借り物は始めて経験するカービングスキー。そして何十年ぶりかのノルディカのフロントバックルの靴。ノルディカは昔から横幅が狭く、太井メの足には合わないので、バックルは全部外してベルトを締めるだけにしましたが、それでもプルークボーゲンでゆっくり滑るのは流石に堪えました。ふくらはぎが締め付けられ今でもパンパンです。
 
今夜は温泉に入って疲れを揉み解し早く寝るのだ!!
あと2日間持ったら褒めてあげてくださいね。



(´・(ェ)・`)~~hutoi

山か岳か?

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ホームページの登山案内で当初「火打岳」としておりましたところ、「火打山とも呼ぶようですが、違いは何でしょうか??」とのお問い合わせメールを複数戴きました。
事情があり文章作成者であるオーナーの確認がとれませんので推測になってしまいますが、山岳ガイドでもあり「日本百名山」をこよなく愛す山男の事ですから、あえて「火打岳」とするには何らかの意図があったかと思われます。
 
人気イベント「塩の道・早朝散策」終点の牛方宿からは、頸城(くびき)三山のうち火打山が見えます。日本海の方角に晩秋真っ先に冠雪する火打山はひと際目立ちますから、周りの山々と区別して火打岳と呼びたいような気もします。それゆえ頸城三山を象徴する意味合で敢えて使ったのかも知れません。また文章の流れから何気なく「岳」と表したのかも知れません。
 

初冠雪の火打山(牛方宿から)
 
調べましたら古くは各地の名山を中山と呼ぶ事があったようです。また単独峰は「山」連山は「岳」だとか、信仰対象の山を「山や嶽」などと呼ぶとする説もありました。しかし条件に当て嵌らない山や岳がたくさんあり、規則性は曖昧なようです。
この辺では「火打山」と呼ぶ場合の方が多いようですし、また国土地理院や日本山岳会、日本百名山でも「火打山」としておりますので、呼び名の混乱を避けるため「火打山」に訂正いたしました。
 
左から焼山(やけやま)火打山(ひうちやま)妙高山(みょうこうざん)

八方尾根より頸城三山(くびきさんざん)
 
仲間で話をする時に、焼(やけ)・火打(ひうち)・妙高(みょうこう)などと、山や岳を外して呼ぶ事が多々あります。火打、妙高は深田久弥の日本百名山に選ばれており、その書中「妙高山」の名の由来で「名香山(みょうこうざん)」と有りましたので、「みょうこうさん」とも呼ばれる中、あえて「みょうこうざん」と振り仮名を付けました。

普段何気なく呼んでおりましたが、お問い合わせをいただき
太井メも大変勉強になりました。ありがとうございました。



(´・(ェ)・`)~~hutoi
 
日暮れがやけに早いなと思っていたら、明日から冬至に入るんですね。太陽の高度が一年で一番低く、最も昼の短い(夜の長い)時期です。したがって太陽からのエネルギーが少なく、寒さが増し雨が雪に変わり易くなります。天気予報では23日頃から降雪が期待出来そうです (^^ ♪
 

屋上より白馬三山の夕景(16:15)
 
「冬至かぼちゃに年取らせるな」と言う諺があります。夏野菜の保存は年を越すと、栄養価も下がり味も落ちるから、年内に食べた方が良いという意味の様です。
冬至にカボチャを食べる風習は江戸時代に広まったようで、緑黄色野菜が少なくなり風邪に罹り易いこの時期に、ビタミンを摂ろうとした生活の知恵なんでしょうね。
 
インフルエンザの流行が始まっているようです。予防にはうがいや手洗いは勿論ですが、ゆず湯に入りカボチャを食べ、十分睡眠をとりましょう。喉の乾燥が一番良く無い様で、湿らせたマスクを付けて眠ると良いそうですよ。
既に遅く咳が出てしまっている人は、マスクをするのがエチケットですよね。

インフルエンザの基礎知識



(´・(ェ)・`)~~hutoi

静寂の霧

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初雪が大雪で今シーズンは順調かと思いきや、雨は降れどなかなか雪にはなりません。昔から「月夜に雪降らず」とか。毎年クリスマス前に大雪に成らないのは確かのようですが。

昨夜は仕事帰りの星空が綺麗で、宵待月の登る姿に見惚れましたが、一転今朝の白馬連峰は厚い雲に閉ざされ、朝焼けの雄姿は諦めました。
朝ぼらけを楽しむうちに霧に包まれてしまいました。濃さを増すごとに耳を塞がれるかのような静寂の霧は、心の奥底にまで広がって行きます。あまりに深い静けさは息苦しさと不安感が募る事を知りました。
 

霧に霞む朝日
やがて徐々に明るさを取り戻すと、息をひそめていた生物たちの気配が伝わって来ます。すっかり葉を落としてしまった木々の枝が、空高く腕を伸ばし、雪を招いているように見えるのは僻目だろうか。霞んだ朝日がおぼろ月夜のように浮かんでくると、肌に刺さる霧はしっとりと柔らかく温まり、明るさと伴に不安感を拭い去ってくれます。生きている実感を改めて感じた瞬間でした。
 
気象観測では見通せる距離によって、1km未満を霧、1km以上10km未満を靄(もや)とするのだそうで、地上から離れて浮かぶと雲になるのだそうです。
 
暫くすると霧も晴れやがて雨が落ちて来ました。上部のゲレンデの雪は心配なさそうですが、下部まで滑走できない日が続くとなると、お客様のキャンセルが心配になって来ます。



(´・(ェ)・`)~~hutoi
 
以前紹介した古い絵葉書の中に八方尾根のケーブルが有りましたのでご紹介。
八方尾根にケーブルが掛かったのが1958年(昭和33年)12月。1983年(昭和58年)に八方尾根ゴンドラリフト「アダム」に架け替えていますので、25年間の活躍でした。葉書のケーブルは塗装の錆びれ具合から、後半期の物のように見えます。
 

八方尾根のケーブル
栂池スキー場の発展は、1948年(昭和23年)に川内下駅(現白馬大池駅)が完成してから始まります。駅が出来ると山岳スキーを楽しむ人が集うようになり、川内地区の民家に宿泊する人達が増えてきました。
やがて川内地区の人達が鐘つき堂地籍(今の鐘の鳴る丘)の萱場を刈り払い「鐘つき堂スキー場」を作りますが、周りにはリフトは勿論宿泊施設もありませんでした。

初めてスキーリフトが掛かったのが1960年(昭和35年)。この絵葉書の発行元の白馬館がロッヂ建設と共に、スキー場経営を開始します。鐘つき堂スキー場は「白馬大池スキー場」と改名されました。

翌々年には白馬観光開発も上部のスキー場開発に参入し「栂池スキー場」と改称されました。栂池ゴンドラリフト「イブ」が栂の森まで完成したのが1982年(昭和57年)。
栂池自然園へのロープウェイが運行を開始したのが1994年(平成6年)でした。
 
八方ケーブルが開設されてから今年が50周年。今シーズンは「ありがとう八方50年」のイベントが各種あるようですね。



(´・(ェ)・`)~~hutoi
 

白馬連峰の南端にある鹿島槍ヶ岳(2,889m)は、五竜遠見尾根越しにポカリと浮かび、まるで人の手によって作られたかの様な、見事に左右対称な双耳峰です。この特徴ある山の形は一度見ると忘れられないでしょう。深田久弥の日本百名山にも「大好きで粋な山」だと紹介されています。


屋上より鹿島槍ヶ岳

昭和初期の登山ブームでは大人気で、鹿島槍北峰の北壁は多くのクライマー達を惹きつけ、アルピニズムの開花の舞台となりました。特に山岳部の積雪期初登はん争いは熾烈で、登山史に「北壁時代」と云われる一時代を築きました。
白馬連峰は長野県側が急激に落ち込み、富山側が比較的緩い斜面になっており「非対称山稜」と言われています。特に白馬三山と鹿島槍ヶ岳付近が顕著で、積雪量も多く、雪崩による大量遭難が多かった場所でもあります。

鹿島槍ヶ岳ほどさまざまな名前が付けられていた山も珍しいかも知れません。江戸時代、加賀藩の奥山廻りの絵図には、富山県側の立山の真後ろに当る山で「後立山(ごりゅうさん)」と記入されています。同時代長野県側では「ケンノフガ岳」「ケンノフ岳」などと呼ばれていました。明治の初めには「隠里(かくねざと)岳」「乗鞍岳」「布引岳」などとされ、雪形から「しし岳」「鶴ヶ岳」さらに面白いのは双耳峰が高さを競っているように見えたのか「背比べ岳」とも呼ばれています。(信濃毎日新聞社編集局編「北アルプス」より)

鹿島槍ヶ岳の呼称は、室町時代に地震で大崩落がおこり、地震の神様の鹿島明神を祭ったことに由来するとされ、南の槍ヶ岳に対し「鹿島の槍」の意味で名付けられたとの説があり、麓の鹿島集落の名から採ったもののようです。この集落は平家の落人伝説が残り、その奥の鹿島槍北壁の麓には隠里(かくねざと)と言う地名が残っています。




(´・(ェ)・`)~~hutoi

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カキ科カキ属の落葉高木
 
甘柿は日本の特産で、日本を代表する果物の一つです。学名の種小名にkakiの和名が使われており、フランスなどヨーロッパ諸国や、最近は英語圏でも「kaki」で親しまれ食されています。
 
和名の由来には「赤い実のなる木からアカキ(赤木)、実の色からアカキ(赤)の上略」「実が堅いからカタキ(堅き)、赤く輝くのでカカヤクの略」「アカミ(赤子)の意味。枝をカキて実をとるため(欠)」などなど諸説あってハッキリしません。
日本の柿は氷河期に一度絶滅し、奈良時代に中国から入って来たらしいのですがこれも曖昧です。
 

柿の実
柿には渋柿が多いのだそうで、昨年旅行した日吉神社には「猿柿(さるがき)」(樹齢500年)と呼ばれる、渋柿の原種の一つが残されていました。甘柿が知られる様に成るのは鎌倉時代以降の様です。現存する最も古い甘柿の一種に「禅寺丸」があり、川崎市の王禅寺に樹齢450年の原木が残されているそうす。
 

柿の木
里古(コ)りて 柿の木もたぬ 家はなし (芭蕉)
 
昔は大概の農家に柿の木が有りました。砂糖が一般庶民の手に入らなかった時代に、甘味の取れる柿は価値の高い物だったに違いありません。改良が重ねられ1000種以上もなると言われています。一般家庭に砂糖が普及してくると、処理に手間の掛かる柿は、甘味源としての価値を徐々に失って行きます。やがて材質の堅さから家具材やゴルフクラブの芯材として需要が高まり、急速に庭先から消えていってしまいました。
 

豆柿
カキの実はカロチンを含み、利尿効果があり、二日酔いに良いとされています。漢方の柿蒂(してい)は柿のヘタでシャックリや夜尿症に、柿霜餅(しそうへい)は干し柿の白い粉を集めた物で去痰、咳止めに効果がある。柿渋はシモヤケに湿布すると良く、柿葉茶は血圧降下作用があるとされています。
 
昔から「木守柿(きまもりがき)」と言って、柿の木に一つだけ実を残して置く風習がありました。神様へのお供えや命を残し繋ぐ意味があり、鳥たちへの配慮でもあったのでしょう。自然の恵みに感謝して頂く謙虚さは、忘れられて欲しくないものです。



(´・(ェ)・`)~~hutoi
 
 先日お亡くなりになったお客様のお土産に、古い絵葉書を頂いた事は紹介しましたが、絵葉書と一緒に古い登山案内が紛れていました。なんと白馬村合併前の北城(ほくじょう)村役場の白馬登山案内書で、戦前のお役所口調が混じっていて興味深い一品です。
 

北城村役場白馬登山案内
「電話北城一番」が手回しの電話を思い起こさせ、字体も旧漢字でなんともレトロ。
案内の略図を見ると、白馬鑓温泉が「白馬温泉」になっています。昔は二股(八方の小日向の湯付近)から鑓温泉へ直接行くルートが有ったんですね。
なんたって距離の一里半が古さを感じます。路線図も神城駅が終点で後は乗合自動車の様ですね。
 

白馬登山のしほり
「しほり」が良い!!
 白馬駅の旧名の信濃四ッ谷駅開業が1932年(昭和07年)。白馬岳(しろうまだけ)が天然記念保存指定地とありますから、1922年(大正11年)以後10年程の間に作られたパンフレットの様です。
標高が二九三三米(2,933m)で、九六七九(尺)苦モナク登ルとあります。単位が尺だと覚え易い標高だったんですね。白馬岳の標高は深田久弥の日本百名山でも2,933mとありますが、現在の地図を見ると2,932mになっています。太井メは昔の高さで覚えていたようです。
白馬温泉は別名「鑓ヶ岳温泉」とあります。標高が七千尺およそ2,100m。
 

白馬スキー場
八方尾根スキー場の歴史を見ると、昭和4年細野山岳スキー倶楽部誕生。昭和6年に黒菱平スキー場開設とありました。このパンフレットの作成年も大分絞られたようです。八方の名木山に木製リフトが出来たのが昭和29年の事ですから、当時はリフトの無い山岳スキー場だったのでしょう。
落倉原スキー場も白馬乗鞍岳の斜面から今の落倉高原までの山岳スキー場。スキーは大正晩年から盛んになり、山岳スキーをする人達も多くなって来ます。
昭和の初期に白馬館が栂池自然園に山小屋営業を開始すると、その近辺は格好の山岳スキー場になりました。昭和14年には自然園上部の天狗原をスタート地点に落倉まで、全長10kmの第一回白馬岳スキー滑走大会が開かれています。このコースが落倉原スキー場でした。もちろんリフトなどの輸送手段は無く、皆スキーを背負い歩いて登ったのです。
戦後昭和25年頃から始まるスキーブームに乗り、人家の一軒もなかった親の原のカヤ場にリフトが掛かり、親の原スキー場(今の鐘の鳴る丘スキー場)として発展すると、次第に落倉原スキー場は忘れ去られて行く事になります。

宿泊料金
登山計画案だとは言え観光案内のパンフレットに、六日コースや八日コースが載っているのが凄いです。それも露営ですからねぇ。安全管理に対しては一言も触れておらず、今時こんなパンフレットを出して、遭難でもされた日にゃ大問題に・・・と言うか、昨今は登山者に対し過保護過ぎるような気がして来ます。
登山小屋の欄を見ると、この頃既に多くの山小屋が経営されて居た事が伺えます。頂上小屋に「暗室の設備有り」と有るのは、山岳写真家の為の現像室の事だろうか?
二食一泊 金壹圓四十銭?? 明治時代の通貨単位のような気がしていたんですが、昭和28年まで通貨の銭が使われていたんですね!!
金カンジキ(多分アイゼンの事)の七十銭は高いように感じますが、当時としては珍しい物だったんでしょうね。薪炭料が「金若干」・・(笑)団体の登山客が増えたのでしょうか、団体割引料金を始めたようです。
しかし漢字とカタカナが混じった横書きの文を、右から左へ読むのって、こんなに読みにくいとは思わなかった (>_<)
 
一つの古い資料の作成年を推測して行くと、けっこう歴史の勉強になります。以外に面白い作業だと感じました。
このパンフレットは恐らく昭和の初期、それも昭和6~7年頃の物ではないかと推測されます。



(´・(ェ)・`)~~hutoi
 
古くからのお客様が数年前脳溢血で倒れられ、大分お悪いようだとは聞いており心配していたのですが、残念ながら先日訃報が届きました。山が 好きで、スキーが好きで、お酒も好きで・・。一緒にスキーをする約束も忙しがって居て、一回しか果たせずに本当に心残りです。
今回は追悼の意を込めて、故人がお土産に探して来てくれた、古い絵葉書を紹介しようと思います。宜しくお付き合いください。


絵葉書の表紙

絵葉書の裏面

「ガラクタ市で見つけた」と嬉しそうに持って来て下さった絵葉書は、山小屋の先駆者「白馬館」の発行です。ケースには購入者が残した「出発 昭32.7.18,帰 昭 32.7.21」のメモが残っております。
発行から50年の著作権保護期間は過ぎているようですが、撮影者の著作権が残っているかも知れません。念 のため「㈱白馬館」様に掲載許可を確認したところ快くご承諾いただきました。ありがとうございました。

昭和32年(1957年)をネットで調べると、南極大陸初上陸、岸内閣の成立、百円硬貨(鳳凰)や五千円札(伊藤博文)の発行。
映画ではアカデ ミー賞の「戦場にかける橋」日本では「喜びも悲しみも幾歳月」。
ヒット曲には石原裕次郎の「俺は待ってるぜ」先日亡くなったフランク永井の 「有楽町で逢いましょう」。アメリカではエルビス・プレスリーやパット・ブーンがトップ5を独占。
7月生れの有名人に元プロ野球選手の北別府投手、篠塚選手、芸能人では大竹しのぶ。
前年の冬季オリンピックで優勝したオーストリアのトニーザイラーが初来日しています。
近郊では 昭和31年10月から北城村と神城村が合併して白馬村に、33年12月には八方尾根にケーブルが掛かりました。

ラジオでは「赤胴鈴の助」の連続放送「♪ 剣をとっては日本一に 夢は大きな少年剣士 ♪」 なんで覚えているんだろう??(^^;)



「四ツ谷より見る白馬連峯」
絵葉書のタイトルにある連峰の字に「峯」の字が当てられています。この頃はまだ白馬駅が四ツ谷駅 と呼ばれていたんですねぇ。
写真の風景は白馬村の深空(ふかそら)辺りかな?と思いますが、今でもこんな風景が残っていたらカメラマンが殺到したことでし ょう。


「白馬岳より見る立山連峯の雄姿」
画像では分かり難いですが、白馬岳山頂からの絵葉書では、中央の丸山手前にある村営宿舎がまだ石積みで、奥のキャンプ場も出来ていません!!
赤い屋根は白馬館の白馬山荘。1959年に火災で1棟を残し全焼したと記録に有りますので、焼失する以前の山小屋ですね。


「白雲を浮かべる白馬大池」
太井メが一番気に入ったのが「白雲を浮かべる白馬大池」の絵葉書。ここまでボートを担ぎ上げたに 違いありませんが、当時の登山者たちの大らかさと冒険心が感じられます。
もしかして池の中央にあった鳥居が残っていた時代かもしれません。 それが写っていたら、かなり貴重な写真なのにと残念です。


「日本最高度の白馬鑓温泉露天風呂」

タイトルに「日本最高度」とありますが、立山や八ヶ岳にもっと標高の高い温泉がある事が知られてから、今では日本一高いと言う表現はされてい ません。山小屋もなくまだ湯船がコンクリで無い時代の、これも貴重な写真です。
今はもっと敷地が広げられ、組み立て式の山小屋(冬は解体さ れる)と、確か女子風呂が囲われて有ったと記憶しますが、露天風呂は混浴でした。標高2100mの岩の割れ目からコンコンと湧き出るお湯に浸かりな がら、雲海から登るご来光を眺めた記憶が蘇ります。正に自然の驚異でした。

懐かしく思って見てくれた方は居たでしょうか?
故人もきっと懐かしがってくれている事と思います

改めて、謹んでご冥福をお祈りいたします

まだ貴重な絵葉書やパンフレットを戴いてますので
次回ご紹介いたします




(´・(ェ)・`)~~hutoi

薄雪輝く

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初雪が大雪すぎて慌てた越冬準備も一段落
用意が整えば今度は気が急いて待ち遠しい


薄雪の朝

暫く降り続いた雨に苛立ちを覚えかけた朝
山向こうに煌びやかな景色が広がっていた
葉を落とした木々が薄雪で白く輝いている
名残の薄茶けた紅葉も最後の華やぎを得た
 
朝戸出に 師走の木々の 薄化粧
(^^ゞ お粗末


(´・(ェ)・`)~~hutoi

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