戸土の境ノ宮と小倉明神では、諏訪大社御柱大祭の前年(丑年・未年)に、交互年に薙鎌打神事が行われます。「薙鎌(なぎかま)」は諏訪明神(健御方命)のシンボルのようなもので、風の神でもある諏訪明神が、風を鎮め諸難を薙ぎ払う意味があるようです。
諏訪大社から宮司が薙鎌を持参し、小谷総社大宮諏訪神社に報告してから薙鎌打神事が行われます。諏訪大社から大宮諏訪神社まで約120km。大宮諏訪神社から戸土まで更に15km程。古来から続いてきた神事で、長野県重要無形文化財に指定されています。なぜ諏訪大社からこんな遠くまでわざわざ出向いて??
戸土分校の跡地を示す小さな碑がありました。30年以上も前に閉校になったそうですが、裏には二人の名前と共に「二人ぼっちの分校」と刻んであります。周りには葦が生い茂り、面影を残すものは石碑以外にはもう何もありません。
「人間は考える葦である」はパスカルでしたっけ?風に逆らわずになびき、倒されても何時の間にか立ち上がって来る葦の様に、人間は自然の脅威や過酷な運命に対して成す術を持たないけれど、必ず苦難を乗り越え自らの力で立ち上がる事が出来る。その上何よりも考える事が出来る。
廃校跡に生える葦の姿が暗示的で、「新天地でも頑張れ」と思わず呟いていました。
「人間は考える葦である」はパスカルでしたっけ?風に逆らわずになびき、倒されても何時の間にか立ち上がって来る葦の様に、人間は自然の脅威や過酷な運命に対して成す術を持たないけれど、必ず苦難を乗り越え自らの力で立ち上がる事が出来る。その上何よりも考える事が出来る。
廃校跡に生える葦の姿が暗示的で、「新天地でも頑張れ」と思わず呟いていました。
戸土集落の入口、新潟県との県境に石仏が並んでいました。昔、下の大久保集落の子供たちが、県境を越えて戸土分校に通っていた時期が有ったそうで、その頃県境に在った境杭を挟んで、子供たちの喧嘩が絶えないので、杭を抜いてしまったのだそうです。そんな話を聞きながら眺める石仏群は、とても寂しそうに見えてしまいます。
大久保集落も今は定住者が居らず、炭焼きをする一軒が有るだけだそうです。子供の頃、秋になると炭焼き用の木を裏山から運ばされました。太い丸太を割る親父の姿を思い出します。炭焼き小屋の酸味を帯びた匂いと共に、懐かしい思い出が蘇えって来ました。
炭焼き小屋の直ぐ横に迎えのマイクロバスが待ってくれていました。塩の道鳥越峠の古道は自然と歴史が満載の実に良いコースでした。充実した楽しい一日は、アッと言う間に過ぎてしまいますね。
長野県から見た日本海の風景を最後に出し惜しみレポートは終ります m(_)mオツカレサマ
長い事お付き合い戴いている間に、栂池高原スキー場が本日からオープン致しました。(ゴンドラで往復、上部ハンの木リフト1本のみの営業です)
(´・(ェ)・`)~~hutoi





懐かしい戸土の思い出を辿るうちに・・アクセスしました。15~20年前に
戸土の最後の住人 赤野さんにお世話になったものです。境の宮 小倉明神 白池 雨飾 駒三山・・そして戸土の歴史・風習・生活などに興味を持ちました。そして地味ながら豊かな自然に魅かれ また厳しい冬と地すべりによる村の崩壊を知りました。・・・楽しく読ませていただいています。が文中の「アワガ峠」が気になります。「あわ峠(安房峠)」が正式名称になるかと思います。
大宮諏訪社の杉本好文氏の著書「いにしえの里 小谷」にもあるとおりです。近頃の都合合併による市町村名のようなものではない 歴史ある名前を正確に伝えることはとても大切なことと思いますので一筆いたしました。
これからも楽しく読ませていただきます。
ルリトンボ
ルリトンボさんコメントありがとうございます。
ご指摘の部分確かに間違えておりますね。漢字が解らず調べもせずに安易にカタカナで書いたのが誤記のもとでした。訂正させて頂きます。ご指摘ありがとうございました。
中谷の宮司杉本さんの著書をお持ちとは、塩の道古道の歴史考察の深さが解ります。残念がら昨年亡くなりましたが、小谷村には珍しい学者肌の方でした。ハンドルネームも「角間池」が付く辺り、かなりこの周辺への愛着が感じられ、嬉しくなりました。赤野君は高校時代の同級生でした。少々偏屈では有りましたが優しい男でした。今は何処に引っ越したのか知りませんが、たしか住民票はまだ小谷村に有ると聞いた記憶があります。懐かしく思い出しております。
初めて参加した塩の道のツアーでしたが、実に楽しかったです。また機会があったら訪ねたい場所になりました。
こちらこそ今後とも宜しくお願いいたします。また間違いがありましたら気軽にご指摘ください。