塩の道・千国街道「親坂(おやざか)」

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早朝散策の最終地点「牛方宿」の在る場所は「沓掛(くつかけ)」と呼ばれている。各地に沓掛と呼ぶ地名が残るが、多くは急坂の取っ付きや登りきった所にあり、履き潰した沓を木の枝や石像に掛け、感謝と道中の安全を祈った場所でもある。
 

白衣観音と地蔵菩薩
 
牛方宿の在る沓掛も、親坂(おやざか)と呼ばれる急な坂道を登りきった所にある。当時の輸送は人や牛馬に頼らざるを得ず、農閑期の農民にとっては良い副業だった。記録によると入り荷は海産物や塩が主で、越後向けには大豆やたばこ、生薬が上位を占めている。たばこや大豆は小谷地方の土地に適しており、生薬は白馬・小谷の特産品とも言える産物であった。
 

親坂風景
 
日本海から小谷村への道は、山坂峠越えが多く、険しく狭い山道が多い。こうした場所での輸送は、馬よりも重心が低く、爪の割れた牛の方が強い。狼もいた頃だったから臆病な馬よりも、闘争本能の強い牛の方が役に立ったようだ。牛の背中に振り分けて二表(一駄)約120キロの荷を運んだと記録に残る。一人前の牛方は6・7匹の牛を追ったと言うから、さぞ壮観だった事だろう。親坂の途中には、大人の腕が楽々入るほどの穴の空いた、大きな石が残っている。「牛つなぎ石」と呼ばれ、こうした牛たちを繋ぎ止め休んだ場所だと言う。
 

牛つなぎ石
 
途中少し平らな所に「錦岩(にしきいわ)」と呼ばれる大きな岩がある。ちょうど陽が射しこむ場所にあり、天候や光の加減で岩肌の色が変化すると言う。果たして急坂を無心に登り降りするボッカ達にとって、心安らぐ風景だったであろうか。
 

錦岩
 
雑木林を抜けた上り坂も終点近くに、水の湧き出している場所がある。「弘法の清水」と名付けられた水飲み場で、二つの石舟が置いてあり、低く据えられた方は自然石を掘った物で、牛馬用だったと言われている。
 

弘法の清水
 
ボッカ達の渇き切った喉にとっては
弘法さまから授かった甘露の水だったに違いない



(´・(ェ)・`)~~hutoi

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