「水を掬(きく)すれば月手に在り」
元は中唐の漢詩の一節、禅の教えを説く言葉として知られています。誰にでも手に掬(すく)った水に映せば月を手にすることが出来ます。ただ手に水を掬うことを知らなければ月を手にすることが出来ません。同じように仏の慈悲も万物分け隔てなく注がれていますが、それを掬い取る心を知らない人に慈悲は感じることができません。
と、ある本にありました。
人は本来、事の善し悪しを本能的に察知する能力を持っていると思うのです。悪いことかも?と感じつつ、つい「まっいいか」って事が有りますよね。手の中の水がゆれていると、丸い月は歪んで映ります。ひがんだり、ねたんだり、心が荒れた日々を過ごしていると、本来持っていた善悪の価値基準がだんだんと歪んでしまうのですね。ゆれる月の姿が不思議に思わなくなるのです。
自然と対峙している時、荒れた心が癒される瞬間があります。それを味わいたくて写真を撮っているのかも知れません。
有るがままに受け入れ、有るがままに生きる。喧騒とした現代社会では難しいことですが、あこがれる生き方ではあります。
今日も陽は昇り、月が有り、陽が暮れました。
(´・(ェ)・`)~~hutoi



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