2007年5月アーカイブ

 
大町への道すがら
白馬大橋で見た白馬三山に目を奪われ思わず車を止めて一枚。
 

白馬大橋からの白馬三山
 
ここも近郊絶景のひとつ。白馬大雪渓を源流にもつ松川に、オリンピック道路として架かった橋です。護岸整備された芝生の上で野転がると、嫌なことなど忘れてしまえるので、夫婦喧嘩の後などにはお勧めです。
 
 
思いのほか仕事がはかどったので、ついでに居谷里湿原へ立ち寄りました。いやいやついでなどではなく、これが私の本業。と、この辺りで声を大にしておかないと、スタッフの中には太井メが遅いのは遊んでいるのでは?と勘ぐっている輩がおるに違いない。
 

居谷里湿原入口
 
木崎湖トンネル手前の信号を左に旧美麻村(大町市と合併)に向かう途中に、居谷里湿原は有ります。ここは長野県では珍しいハッチョウトンボの生息地。と同時に日本でも中津川辺りにしか分布しない、カエデの仲間「ハナノキ」の隔離分布地として貴重な湿原です。
 

居谷里湿原
 
水芭蕉は既に終わっていましたが、広々した湿原の緑の中に黄色いサワオグルマがgood accentでした。


(´・(ェ)・`)~~hutoi

青鬼(あおに)

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近郊の撮影ポイントの案内には青鬼は「注文付で」必ずお教えする場所です。ここの撮影は何と言っても早朝です。太井メの都合と天候の相性が悪く、なかなか紹介できませんでしたが、今日のタイミングはバッチリでした。
 
朝7時前に着いたのですが平日なのに駐車場には既に先着十?台ほど。いや~あちこちロープが張られ目的の場所に入れませんでした。(^^;)
しかし相当に「にわか写真家」が荒らしまわったようですね。草刈をした様子も無いのにあぜ道には草が生えておりません。

    地元のおじいさんが言ってました。
 
「俺らの子供じぶんの景色が最近じゃあへえまったく変わっちまってせ、寂しい限りだんね。田んぼのイシガキゃあ壊されちまって、なんべんも修理しちゃあいるがんども、追いつきゃあしねえ。200年以上もメエのショウが、えれえ苦労して棚田を作ったって聞いちゃあいるが、壊れるがなんてむなあすぐせ。朝っぱらから何台も車がきちゃあ、カシャカシャなんか撮っちゃあいるようだども、なにゃあ面白れえむんだいねぇ。いくらアゼえへえるなったって聞くむんじゃねえ。しょおがねえヤロどもせ」

さっそくロープの内側に入ったおじさんがサングラスのじっちゃんにかなりの剣幕で怒られています。子供の頃通学路の近道で、田のあぜを駆け抜けよく怒鳴られたことを思い出しました。

 
私も「にわかカメラマン」の端くれとして改めて身の引き締まる思いでした。最初に「注文つきで」と書いたのはこのことです。案内する時は「あぜ道には入らないようにしましょう。遠くからでも十分良い写真が撮れますから」と伝えています。古い石垣の棚田は私たち共通の宝です。大切にしたいですね。

 
   上の棚田に登るうちに少し霞がかかって残念でしたが
 
   しかし絶景ですよねぇ。


(´・(ェ)・`)~~hutoi

重文:松尾寺

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写真雑誌に藤棚の見事な写真はっケ~~ン(^^♪
 
穂高の「松尾寺」とある
場所は山麓線、ちひろ美術館の先
「今頃が満開ではなかろうか?」とのコメントに
イザ( ̄~ ̄)勝負と出かけてまいりました。< div>

重文・松尾寺
 
松尾寺・薬師堂は室町時代に建立・・・
なんと国の重要文化財でありました!
入り口横に確かに藤棚があり周りに牡丹が植えられております。牡丹は少し遅いようですが藤の花は最盛期。
まずは雑誌の写真の模写からとアングルを探しましたが見つかりません。藤棚の梁が太いのでせっかくの藤の花が隠れてしまうのです。

入口にあった草庵
 
あきらめ~~の境地で撮った三枚をお届けです。
 
帰ってから改めて雑誌の写真を眺めると
左上に白抜きで「上田・前山寺」とある。
松尾寺の写真は下に小さく・・・
        ・・・(@Д ゞ ゴシゴシ
 
太井メの早とちりでした・・・・・。
 
                  (´Д⊂グスン
 
 

お目当ての藤棚


(´・(ェ)・`)~~hutoi
 
七重八重 花は咲けども 山吹の みのひとつだに なきぞあやしき
詠み人;兼明親王(かねあきらしんのう)
   
 
別荘で過ごしていた作者の所に、ある雨の日に簑(みの)を借りに来た人がいました。その人に、山吹の一枝を添えて渡したのがこの歌。「山吹の花は幾重にも花をつけるけど、実は一つもつかない。この家にも簑一つさえないのでお貸しできずに申し訳ない」との意味だそうですが、へそ曲がりの私流にうがった解釈をすれば、作者は醍醐天皇の皇子だそうだから「身分の高い私は簑なんて着ませんよ。見当違いの処に来ましたなぁ」みたいな。
「簑」と「実の」を掛けたことば。 今言うダジャレですね。
 
元国定教科書に掲載されていた後日談「山吹の里」の方が良く知られています。
室町時代の江戸城を築いた武将、太田道灌(おおたどうかん)が鷹狩の帰り農家の少女に同じ事をされ腹を立て帰ったというお話。後に家臣からこの古歌と意味を教えられ、無学を恥じ歌道に励み、文武両道の達人になったとか。
 
早稲田大学の近くにある「山吹の里」を訪れた折この歌碑を見ましたが最後の句の「あやしき」が「悲しき」になっていました。貧乏な農家の娘を強調するために「悲しき」にしたのかな?言葉に隠された意味深いおもむきからして「あやしき」の方が絶対いいと思う。
 

しだれた枝が風になびく様子を「山振」(やまぶり)と表し「山吹」に変化したと言われています。山吹はバラ科に属し、八重咲は実を付けないことで知られていますが一重(花弁が五枚)の山吹には、数は少ないけれど実をつける物も有るようです。
 
こういった咄嗟の時にできる洒落の利いた行動って憧れます。時々来る同情を背負った特定宗教の訪問販売の人にこれくらい洒落の聞いたパンチを咬ましてみたい。
 
でも最近「シャレ」の解かる人って、少なくなりましたぁ。


(´・(ェ)・`)~~hutoi
 
そこでコブシにまつわる伝説のさわりから。
 
昔お世話になった旭化成には、会社の発祥地であるためか宮崎県出身の人が多く、七分のお湯割り焼酎を片手に、飲む毎に酔う毎に「ひえつき節」の歌と故郷の昔話をよく聞かされました。
 
「壇ノ浦の戦いに敗れた平家の残党が、今話題の宮崎県は椎葉村のあちこちに隠れて住んでいました。ある日源氏が討伐にやってくるとの噂が村中に広まり、村を捨て逃れることにした一行が、白鳥山の御池(みいけ)という池に着き、そのほとりで休んでいた時の事。霧の晴れ間に見えた山一面に咲いたこぶしの花や桜の花を、源氏の白旗と見間違えて大軍が押し寄せて来たと覚悟をし、多くの人々が自刃し池に身を投げました。」

辛夷と桜の競演
 

辛夷と桜の競演
時期的にはコブシが先に咲き始めますが、開花期が長いので満開の時期が桜と重なる ことが間々あります。コブシの大木が満開になると木全体が本当に真っ白になりますよね。悲しい平家落人伝説でありました。
 

白馬三山を背景に
この物語の後に禁断の恋歌
「姫の屋敷の山椒の木に鈴をかけ、逢瀬の合図にしましょうね。鈴の鳴った時には何と言い訳して出て行きましょうか、馬に水をやることにしましょうか」と歌う
民謡「ひえつき節」を聞かされた時には
 
涙が止まらなかったなぁ。


(´・(ェ)・`)~~hutoi
 
先日はまだ満開にはいたらず不完全燃焼でした
そろそろかな?と思い再挑戦です
良い絵が撮れましたのでご紹介
 

白馬三山を背景に
恥ずかしながら、四十九院(シジュウクイン)って地元にいながら最近まで呼び名を知りませんでした。
調べてみると、お釈迦様が前世で修行し仏になった天界にある場所で、死後凡人でもこの四十九箇所で修行すれば成仏できる。とする仏教の世界観で、そこを守る四十九のご本尊を墓の周りに配し往生・成仏を願ったのだそうです。
いわゆる「栂池の百体観音」や「岩岳の観音原」の石仏のように、東国、西国巡礼に「行けない人のために」各所の象徴を一箇所に集めたことと似たような考えのものかも知れませんね。
 

四十九院跡
以前は畑の真ん中に小さな石塔がひとつポツンと置いてありましたが今年は石積みされ白砂利が敷かれ芝桜で囲われて嫌に豪華に変身。なんか現代風で違和感を感じます。
 

 
田んぼと緑の雑草に囲まれポツンと佇む石塔
それを見守る2本のコブシの大木
バックに残雪を残した北アルプス
そして青空
 
二度と見ることのできない風景です


(´・(ェ)・`)~~hutoi

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